長宗我部元親

経歴

土佐国(高知県)の国人( 地方有力武士 )だった長宗我部国親の長男である。

概要

22歳で初陣、本山氏との 戦いで勇猛な姿を披露した。この 年、父の国親が死去して家督を相続するや、まわりの国人や土豪を次々支配し、1575年には土佐の完全統一を果た。元親の兵は一領具足と呼ばれ、平素は農民だが、招集がかかるやいなや具足を携えて馳せ参ずるものであった。身体能力にすぐれ、 団結力の高い兵だったといわれる。さらにその後は伊予国(愛媛 県)・阿波国(徳島県)・讃岐国 (香川県)へと侵攻し、1580 年には讃岐。阿波をほぼ征圧した。 織田信長は元親の勢力伸長に不快を示し、領地を返還するよう干渉してきたが、元親はこれを拒否。 一触即発の事態となった。しかし信長が本能寺で没したため、難を逃れた。元親は再び侵攻を始め、 1585年伊予を征圧し、四国統ーを果たした。 すると今度は信長の後継者の羽柴秀吉が伊予・讃岐の割譲を要求。 元親は伊予の譲渡だけですまそうとしたが、秀吉はそれを容れず、 2万の大軍で四国へ侵攻した。大決戦は不利と見た元親は、2か月で秀吉に降伏し、再び土佐一国の大名に戻った。その後、秀吉に臣従し、1599年に病死した。

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