丹羽長秀

経歴

1534年尾張で生まれる。 丹羽長政の子

概要

丹羽長秀は16歳から信長に仕え、桶狭間の戦いにも従軍した。柴田勝家と並ぶ双璧といわ れた重臣である。羽柴秀吉の羽 は丹羽、柴は柴田にあやかった もの。美濃攻めや六角氏征伐で 名をあげ、長篠の戦いや越前一 向一揆でも武功を立てたほか、 大規模な船の建造や安土城普請の奉行も務め、政治手腕を発揮 している。しかし、勝家、秀吉、滝川一益、明智光秀らと比 較して徐々に地位が下がっていった。 本能寺の変のときは、信長の 3男信孝の補佐役として四国へ 出発するために堺にいた。秀吉軍には山崎(京都府)で合流し、光秀を討った。織田家継承 会議(清洲会議)では秀吉側につき、賤ケ岳の戦いでも秀吉の下について勝家らと戦った。 その功により、 勝家所領の越 前・若狭と加 賀2郡を与えられ、そこへ 出家した一益を受け入れた。約123万石の大大名として一生を終えた。

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