朱元璋

経歴

明朝初代の皇帝(在位1368~98)。廟号は太祖。年号により洪武帝という。貧しい佃農の家に生まれた。

概要

農民の家で朱元璋は6番目の子供として生まれた。貧しい一家だった朱元璋は幼い頃から働きに出て馬や牛の世話を行っていた。しかし朱元璋はあまりに腹が減ったため仲間とともに世話を任せられていた子牛を勝手に解体して食べてしまう。朱元璋は一人でその罪を被り、持ち主から半殺しにされた。 17歳の時、飢饉で両親と長兄を亡くし、姉も嫁いでいったり兄弟も離ればなれになった。残ったの朱元璋と二男だけだった。彼は食うために出家して寺に入ったが、寺も食料が乏しく、乞食僧となって放浪しなければならなかった。 24歳の時、白蓮教徒の乱が起こると各地で勃発した。朱元璋の住む地域でも郭士興が挙兵した。朱元璋は郭士興の軍団に会おうとしたが門番に縛り上げれてしまう。しかし郭士興がそんな朱元璋を見ると朱元璋の醜く異様な容貌を見ると仲間に加える。 一員となった朱元璋は戦闘では勇敢に戦いすぐに出世していった。そして郭子興の養女と結婚する。それが後の馬皇后である。さらに朱元璋は故郷で募兵活動を行って徐達や湯和を登用した。 朱元璋たちは長江上流地域を平定していって勢力を拡大した。そして紅巾軍本隊は開封を占領して大宋国を建国する。しかしその時郭子興がなくなってしまう。 朱元璋たちは現在の南京を獲得する。そして劉基などの文官を登用すると内政の整備を行い、安定した税収獲得に励んでいく。朱元璋は武昌の陳友諒、蘇州の張士誠などの群雄と戦うこととなる。兵力的に劣勢だった朱元璋だったが劉基の提言もあって勝利する。そうして朱元璋は大勢力となった。そして白蓮教徒を邪教であり紅巾軍は反乱軍だとして自分たちの正当化を行う。 朱元璋たちは北伐を行い、元軍が逃げたためにたやすく大都は奪還される。少勢力も平定し、朱元璋は大明帝国を建国する。明は荒廃した国土の回復や人口増加に努めた。農民には免税を行い、屯田や河川工事を行って生産力を高めていった。 だが朱元璋はかつての建国の功労者や官僚たちを処刑した。その他にも士大夫や地主や富豪たちも粛清していった。朱元璋は計10万人ほど粛清したのだった。そうして朱元璋は病死する。

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