概要
秦末の乱に際し、初め項羽陣営に属したが、不遇を不満として劉邦に仕えようとした。その際危うく斬られそうになったが、重臣夏侯嬰にみいだされて救われ、さらに丞相(じょうしょう)蕭何の推薦でやがて大将に抜擢される。
紀元前206年、項羽の都彭城を襲った劉邦が危機に陥るやそれを救い、ついで趙、斉の地を攻略して黄河下流一帯を確保し、漢を優勢たらしめ、斉王に封ぜられた。漢の天下統一が達成されると、異姓の諸王を廃除しようとする劉邦の政策にあい、また、陛下はせいぜい10万の兵の将だが、自分は多々ますます弁ず(多ければ多いほどよい)と豪語した有能さが災いし、しだいに悲劇的な晩年になってゆく。楚(そ)王に移され、次には反逆の疑いで淮陰侯に落とされ、前196年、呂后の謀計にかかって捕らわれ、一族もろとも滅ぼされた。