岳飛

経歴

崇寧2(1103)南宋で生まれる。 農家出身だが義勇軍に応募して軍人となる。

概要

南宋の名将である。三国時代の関羽とともに中国において尊敬を集める人物である。 背中には母親に彫られた「尽忠報国」という文字があった。 岳飛が生まれたときは中国の北の大地を異民族国家「金」に占領されていた。かつての北宋の首都である開封まで金に攻撃されて略奪されたのである。そのような漢民族にとって屈辱的な時代に岳飛が生まれる。 農民出身だったが岳飛は開封の防衛を担当していた老将軍宗沢の義勇軍に参加した。文武両道で左右どちらでも弓を引け、書の腕も一流という岳飛は一兵卒から出世していった。しかし宗沢の死後、後任の将軍は金に対して弱腰で金軍に対して逃げてばかりだった。 後に独立して岳家軍という私兵集団を結成していき南下してきた強力な金の軍団に対して連戦連勝だった。 岳飛は首都開封を取り戻そうと北伐を行い、金軍を散々に打ち破った。金の精鋭を打ち破り、あと一歩で開封を取り戻せるまでいった。しかし皇帝によって帰還命令が出され岳飛の北伐は終りを迎える。 宰相の秦檜は岳飛が和平の邪魔となると考え岳飛を捕らえ死刑にする。 非業の死を遂げた岳飛は永遠に英雄となった。

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